宮崎県都城市の思い出(1)

 プロフィールに書いているように、21歳の頃2年間、日立製作所のシステム開発プロジェクトで宮崎県都城市に滞在しました。まだ記憶に残っている間に、自分のためにもその頃のことを書き留めておこうと思います。もう既に忘れているこ […]

 の続きです

 当時の日立製作所のプロジェクトは、日立系のシステム販売会社が集まり、販売会社毎にチームとして、私の所属会社は販売管理担当でAチーム、その他、物流や在庫などDチームまであり、日立製作所が共通技術としてKチームでした。

 都城に行くことが決まって、電算会社の同期たちが前日に送別会をしてくれて、遅くまで飲みました。翌日、飛行機で宮崎に行き、高速バスで都城へ。

 日立製作所が借りた事務所へ行き、お客様と日立側と20名位で顔合わせと今後の打ち合わせ。まだぺーぺーの私は話を聞くだけで何も発することは無く、前日の送別会もあり、眠~くなってうとうとしてしまいました。とりあえずその場は終わりましたが…

 後日、お客様のプロジェクトリーダーから、ひとり寝ていたということで、私はいったんプロジェクトを離れることになりました。そりゃそうですよね。

 今回のプロジェクトに私を入れてくれた上司は私の技術を信頼してくれていて、また必要になるから、それまで福岡で作業をして準備しとけと言われました。

 そして上司がお客様を説得して、約2カ月後に呼んでもらいました。

 次に都城に行ってから、私の得意なオフコンのOSだったので、人に教えたりしながら、Kチームからも協力して欲しいと言われて、最大で100名以上のプロジェクトになったときも中心メンバーの一員になれました。

 お客様と飲みに行ったときは場を盛り上げ(無理したわけじゃなく、自然と出てしまった結果)、お客様のプロジェクトリーダーの方からも気に入ってもらえて、よく飲みに誘ってもらえたり、システム開発の現場でもいろいろと助言を求められました。

 毎日遅くまで残業でしたが、上司がよく飲みに連れて行ってくれて、私はほとんど支払いをしていません。上司には、このお礼は後輩にしろと言われていました。

 本当にたくさんの方にお世話になりました。